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今回印象的であったのは、人々の表情に安堵感とゆとりが見て取れるようになったことだ。「苦難の行軍」を何とか乗り切った安堵感。厳しい経済制裁の中にあっても、市民生活にゆとりが生まれてきている証なのだろう。あわせて相次ぐ核実験、核運搬手段の開発。これは私にとっては断じて賛同することは出来ないが、そのことが少なくとも朝鮮市民にとっては、アメリカの核脅迫からの解放という意味で安堵感を生み出しているのではないか、とも感じられる。 もう一つは、耕地の整理が格段にすすんだことだ。化学化、機械化に向けた準備段階なのだろう。季節柄のせいもあるのかも知れないが 2008 年の初訪朝以来、農業の厳しさがずっと気にかかっていた。痩せた農地、遅れた農法、「これはかなり厳しいぞ」というのが偽らざる感想だった。今回、信川に向かう途中は牛が荷車を引く伝統的な農村風景だったが、耕地区画は大規模化され、整理されていた。そして作物は青々と茂り、水田の畦には例外なく大豆が植えられている。このあたりは社会主義の威力なのだろうか、その進展はスピード感がある。牛がトラクターにかわり、牛鋤が大型耕耘機、コンバインに変わるのにはそれほど時間はかからないのではないか、と感じた。 「平壌に行く」というと、今回もまた様々な方面からご意見が寄せられた。「安全に帰ってこられるの?」と言う本当に心配してくれる友人もあれば、「どうせ本当のところは見せない」とか「宣伝に使われるだけ」などという厳しいご意見もある。大手マスコミの報道を信じてはいけない、という我が陣営の人々ですら、朝鮮についてのマスコミ報道はほぼ鵜呑みにするところがなんとも滑稽でもあるのだが、日本の偏ったマスコミ報道の中に身を置いていればそうした心配も意見もうなずけないこともない。 確かに、朝鮮は戦時下の国であり旅行者が自由に動き回れる状況にはない。植民地時代の記憶から日本人に対する一般市民の感情も厳しいものがあるのも当然だ。実際に何度か訪朝してみて、あの巨大なモニュメントやいたる所にある肖像、一糸乱れず旗を振って労働に行く人々を鼓舞する女性たち等を見ると正直違和感を覚える。社会主義者ではなく心優しき民主主義者を自称する私としては、つい「本当のところどうなのよ」と聞きたくもなる。 しかし、よく言われるように「全て外国人に見せる為に動員されたもの」というご意見にはどう考えても賛成できない。ムンス遊泳場で楽しそうにはしゃぎ廻る子どもたちや、平壌動物園で憩う親子連れ、玉流館の冷麺に行列する人々、大同江河畔を手をつないで歩く恋人たち、こんな大量の人々をわずかの外国人旅行者のために動員するなどと言うことはどう考えてもあり得ないし、何より、当たり前の話ではあるが、日本的基準から見れば豊かとは言えないまでも、ごく当たり前の市民生活がそこにはある。こう言うと「お前は平壌しか見ていないからだ」という意見が飛んでくる。確かに平壌と地方との格差は大きいのだろう。今回モデル農場を見学したが、実際の農村ははるかに厳しいに相違ない。かつて「苦難の行軍」時代には餓死者が出たことを彼らは隠さない。だからこそいま漂う安堵感は本物であると思う。そして、重要なことはその格差を是正しようとする姿勢があるかどうかだ。どこぞの国のように「格差は自己責任」とばかりの政策にうつつを抜かし、朝鮮の核・ミサイル開発を口実に軍事費の増額に走るよりはよほどましだろう。 団長特権で、与太話にだいぶ紙幅を使ったが、要はとにかく自分の目で見てみよう、自分の肌で感じてみよう。そして本当のものが見たいというなら、本当のものを見せてくれるまで仲良くしよう、これにつきるのだと思う。 ともかくも次の平壌行ではどのような変化が見えるのか楽しみである。 (追記) 中国経由の旅のせいか、朝鮮のホスピタリティはすばらしい。外国人相手のホテルや店舗というせいもあるのかも知れないが、中国では客そっちのけでおしゃべりしたり仏頂面で客の相手をしたりするのが当たり前。これに対して朝鮮では終始にこやかに、客本位の丁寧な対応。これは日本の「おもてなし」に相当する。高麗航空も機体の安全性はともかくとして、CA の接客態度は日本の CA 以上。おそらく世界でもトップクラスだろう。これだけでも乗ってみる価値はある。
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